「私は医師ですけれども、普段はブルドーザーに乗っています。」
開口一番にそう言い、操縦している自分の姿をスライドで示すのは中村哲さん。ユーモラスな語り口に、会場はどっと笑いに包まれました。
9月5日、中村哲医師講演会「井戸を掘る 平和をつくる~国境を越え、世代を超えるメッセージ~」に出かけてきました。
【診療を通して、水問題に関わるようになった】
中村さんは、パキスタンで医療器具も少ない中、現地のハンセン病治療に尽力してきました。1983年には、中村さんの活動を支援する非政府組織「ペシャワール会」が発足。
長い道のりを何日もかけて、子どもをおぶって診療所まで歩いてくる母親たち。待合室でついに泣き声が途絶え、子どもの死に気づいた母親が悲鳴をあげる……そんな光景は日常的だったそうです。
その後、活動を隣国アフガニスタンにも広げながら、多くの人の命を救いたいという願いのもと井戸を掘りはじめる中村さん。
アフガニスタンは9割が農民。きれいな水が出なくなった大地では、国民は飢えてしまいます。汚い水は感染症の原因にもなります。人々は生まれ故郷の村を捨て、大都市へ出稼ぎに行ったり、軍隊に入ったり……日々の食べ物を自給自足する暮らしは、できなくなってしまいました。
【日本の伝統的な技術を研究し、用水路を建設】
中村さんはアフガニスタンに用水路も掘りました。「緑の大地計画」です。シャベルやツルハシを使って、あくまで現地の人々が維持できる技術を選びたい……思いついたのは、日本に古くから伝わる治水技術でした。
なかでも、岸が崩れないために用いた「蛇籠(じゃかご)」の効果は絶大でした。コンクリートではなく、カゴの中に石を入れ、レンガのように積み立てるのです。これなら、補修も簡単です。川岸には柳の木を植えました。木が育つにつれ、その根はカゴを覆い、木々が岸を守ってくれるようになったのです。
【現地の人々が懸命に働いた理由とは……】
7年間にも及ぶ用水路の建設。砂漠での作業中、熱中症でバタバタと人が倒れていきました。それでも、人々は手を休めなかった。なぜなら、「三度三度ごはんを食べたい」「家族揃って自分の故郷に住みたい」という強い思いがあったからです。
落成式。やっと水が通って、「先生、これで生きていけるよ!」と人々は叫びました。「これでみんな生き返る!」「オレたち、助かってよかった!」と。そんな声を聞くのが何より嬉しいと、中村さんは話します。
【まるで奇跡のような2枚の写真に、思わずため息】
大干ばつで、砂漠になってしまった大地。
用水路に水が通って数年後。見事に緑が育ちました。まるで魔法のようにスライドを次々と見せてゆく中村さん。会場からは思わず歓声が漏れた光景でした。
【大地と共に、村はよみがえった】
緑が戻った村には、次々と人々が帰ってきます。動物たちも水を求めてやってきて、砂漠の中に文字通り「オアシス」が誕生したのです。
「戦よりも食糧自給だ」と、中村さんは力強く語ります。「我々はどこに行こうとしているのか? みんなで模索して、新しい時代を迎えよう」という言葉に、会場からは大きな拍手が起こりました。
参照元:ペシャワール会,講演会案内
執筆=川澄萌野(c)Pouch 写真提供=ペシャワール会、市民の声ねりま